INNERMOST…
作詞:Közi 作曲:Közi

〜死に続けるがいい顧みずに無垢に
   誰も奪い去れないから〜

カタルシストラック11 お気に入り度:★★★★★

アルバム「カタルシス」の実質のトリを飾る曲です。
本当のラストはKHAOSですが、これはインストルメンタルなので。。

このアルバムの中で、Köziが一番真面目に作ったと思われる曲です。
歌詞も非情に真面目な内容で、
大抵悪ふざけな遊びをどこそこにちりばめるKöziらしくなく、
この作品には遊びはありません。

彼のアーティストとしての思想とか哲学といったものを、
歌詞に込めているような気がします。
(決意表明みたいな?)

冒頭に紹介した部分は、ソロ活動をするKöziの
根底に流れる思想じゃないかと私は思っています。

もう大分昔の話ですが、ウェブラジオの番組で、
Közi(すでにソロ活動中)が喋っていたことがありましたが、
(確かD'espairsRayのメンバーともう一つ何処かのバンド(イザベル?)との、
3組でトークする番組でした。)
そこで、「俺はもうひたすらもぐる方にもぐる方に向かってるんだよ」
みたいなコメントをKöziがしていました。

昔、まだ高校生の頃にギターを買って、
友達の家の蔵(Köziの実家は何処でしたっけ?結構田舎かな・・・)の中で、
気の済むままに音を鳴らしまくったあの時が、
一番楽しい瞬間だった、・・・というような事も言ってました。

まだ知識も技術も全くない時期に、
とにかく弾きたくてたまらなくて、滅茶苦茶にひいたときの開放感、
あの感覚を追いかけて、作品を作っている、
というような話です。

「顧みずに無垢に」はそのコメントと照らし合わせると、
きっとそれが彼の核になってるのだなと、感じさせられます。
一度はMALICE MIZERで大きな成功を収めた過去を持つKöziですが、
恐らく、評判と名声を得るのと引き換えに、
本来の創作のあるべき姿から外れていき、
出来上がった作品は、本当に自分の求めた世界を
表現できていたのか。。。
というようなことを思い悩んだ時期が、恐らくあったのだと思います。

歌詞の中では、
「総て受け止めて堕ちたなら零に確かな真実と出会うだろう」
とも言っており、
彼は、栄光を失った今こそが本来の自分を取り戻した姿なのだ、
売れることが重要ではなく、納得のいくものを創ることが大切なのだ、
と言いたかったのではないでしょうか。

現実的には、人は霞を食べて生きていくことはできませんので、
売れることは、間違いなく大切であり、
売れなければ、アーティストとして生き続けることはできません。

が、そこを分かった上で、敢えて「死に続けるがいい」
とまで言い切るのがKöziであり、
その生き様こそが、私がKöziに惹かれてやまない部分でもあります。
ある意味この生き様は、Rock'n'rollの思想の本来の姿
と言えるんじゃないですかね。。

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