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Garnet ~禁断の園へ~

作詞:Klaha作曲:Közi お気に入り度:★★★★

歌詞

この手の中にある小さな欠片は 不思議な夢を見せてくれる
そっと握り締めると 懐かしい風景が記憶の中に溶け込んでゆく

夜空を見上げると星のざわめきが優しく君に降りそそぐ
ひとすじの光に願いを込めて 静かにその手を翳す瞬間

赤い煌き 溢れる想いが 夢の果てに繋いだ階段を どこまでも照らす

white stair to sky

遥か禁断の園 広がる迷宮の中 君を導くGarnet in the Eden
もう二度と戻れない時の中を 歩いてゆく 君が還るべき場所まで

赤い煌き 昂まる想いが 夢の果てに浮かべた扉を ゆるやかに開く
white door to sky

遥か禁断の園 広がる迷宮の中 君を導くGarnet in the Eden
もう二度と戻れない時の中を 歩いてゆく・・・

遥か忘却の園 失くした記憶の中 君を導くGarnet in the Eden
もう二度と戻れない時の中を 歩いてゆく 君が還るべき場所まで

真紅の輝き
Garnet in the Eden

楽園追放という新テーマ

アダムとイブのエデン追放をテーマとした世界観になっています。MALICE(悪意) MIZER(悲劇)というキーワードに照らし合わせてみると、知恵の実である林檎とその後の楽園追放は、イブ(あるいは、イブをそそのかした蛇)の悪意がもたらした悲劇、と捉えることができ、バンドのテーマとしてはマッチしていると言えます。

MALICE MIZERが追求してきた「人間とは」という問いについて、楽園追放以来、人間が抱え続ける「原罪」に答えを見出そうとした、と読むこともできるかもしれません。

穏やかで歌いやすい曲調

あまり激しさのない、穏やかな曲調です。昔、カラオケに入ると最初にこの曲で咽喉ならしをしたのは、私のいい思い出です。比較的穏やかな言葉を選ぶ傾向にあるKlahaが作詞していることも、曲調の穏やかさの要素になっていると思います。

Köziの最終作品

第III期の評価において、当サイト内で何度か触れていますが、この時期のKöziはスランプだったと考えられます。彼本来のオリジナル性がこの時期にはあまり感じられません。前述のようなテーマ性の観点でMALICE MIZERのテーマにあった作品といえるのは確かですが、この後のソロ活動において、花開いたKöziの個性の源泉は、第II期に見いだされます。具体的には、claire ~月の調べ~やILLUMINATI、Brise、月下の夜想曲などが、Köziの中でその後の作品制作にもつながったモチーフといえます。

その意味で、本作品は、先に挙げたようなMALICE MIZERとしてのテーマの合致性とカップリングの幻想楽園(Garnet以前に制作された作品)の世界観、という外部の要素、彼の内面から創造されるものではないもの、から作り出されたように感じられるのです。

解散の舞台裏に思いを馳せる

第III期にリリースされた作品群をみると、Gackt脱退のダメージは、manaよりもKöziの方が大きかったと感じざるを得ません。manaはさすがの一流アーティストで、第II期後から第III期の極めて厳しい逆境の中においても、コンスタントに作品を量産し、(成功したかどうかは置いておいて)薔薇の聖堂という次なるコンセプトの構築と表現を主導しました。映画制作(あれはMALICE MIZERの寿命を縮める失敗だったと思ってます)等、やや暴走した感は否めませんが、強靭な制作意欲と自身の内面世界の具現化に対する使命感を感じさせます。

しかし、結果として、第II期の勢いを取り戻すことはかないませんでした。manaは経営的な側面でもプロとしての感覚に優れているので、恐らく総合的に判断して、自身が表現活動を続けていくのに、MALICE MIZERという媒体で続けることの限界を感じたのではないかと思います。

一方で、manaは最も発言力のある存在だったとは思いますが、一人の考えで解散を決定できたかというと、難しかったかと思います。多分、yu~kiはメンバーの総意に従うスタンスを取っただろうと思いますが、MALICE MIZERのもう一人の創始者であるKöziの同意なしには、解散にかじを切ることはできなかっただろうと思います。

Köziの苦悩

そのKöziはどう考えていたのでしょうか。作品を見る限り、アーティストとして今までにない苦しみの中にいたと思います。

よくメンバー間では、Gacktとkamiが仲が良かったということが言われています。実際にそうだったと思いますが、作品制作面でGacktとKöziは幾つかのモチーフを共有しているように見受けられ、精神的にかなり近しい距離感を持っていたと思います。

先に挙げたKözi作曲の作品群のテーマは、Gackt、Köziそれぞれのソロ活動の作品にも表れています。例えば、MALICE MIZER時代の claire、 Briseは精霊(?)が少女に語りかけるような世界を表現していますが、これは、GacktソロのU+K、Köziソロのcrimson starにそれぞれ表れています。月下の夜想曲もこの文脈上で解釈できるように思え、特にGacktはfreesiaに、このイメージを引き継いでいるように思えます。

そういう心的世界を共有していた仲間に裏切られた(真相はともかく、少なくとも当人はそう感じた)ということがあったとすると、Gacktの脱退はKöziに深いダメージを与えたといえるでしょう。

自分の創造の核になる世界観にGacktの影がちらつく。そのため、今まで温めてきたモチーフからの脱却を図ろうとしたかもしれません。こうした内面の苦悩が、脱退劇以降のKözi作品の方向感のなさ、つまり、第III期のKöziのスランプの根本にあったのではないかと、私は考えてます。

薔薇の聖堂以降、アルバムのコンセプトから一旦、解放された環境で、作品を制作したKöziにとって、Garnetは満足のいくものではなかったのかもしれません。MALICE MIZERという環境で作品を制作することの限界をKözi自身が認め、MALICE MIZERの総意として解散へ舵を切ることとなった、という経緯があったのではないかと想像します。